目に見えない世界やエネルギー、宇宙の神秘や自分を生きるという意味について、興味を持ち始めたのはきっと小さなころからだ。
おぼろげに覚えているのは、「今…今…今…」と思いながら歩いているわたし。
最初の今と、2回目の今、3回目の今は同じ今では無いのはなぜだろう。
時間ってなぜあるのだろう、とか。
どうして他の人たちとは違って、自分の考えや気持ちだけがわかるのだろう。
自分って一体何なのだろう。
そんなことをよく考えていた子だった。
シャーリー・マクレーンのスピリチュアル体験の本などに出会ったのは30年以上も前の、10代のころだった。
それから宇宙存在バシャールやエクトンのメッセージに夢中になり、バイブルのように読んでいた。
ずっとずっとずっと今に至るまで興味が尽きることなく、自分自身の心を、意識を探求し続けてきた。
そして小さな無数の流れが集まって大河になるように、こんなにも時間をかけて、すべては自分の意識から生み出されたものなのだということが、今やっとやっと腑に落ち始めている。
わたしが気づくのを待ってくれていたかのように、ありとあらゆる角度から世界がそれを見せてくれている。
すべての基になるキーワードは、「自分を受け入れ、許可し、愛すること」。
ただ、ただ、それだけ。
わたしの50年間の人生は、そのことを理解するための時間だった。
世界は自分の内側そのものである、ということを。
自分を愛する。
わたしを愛する。
小さな、心や体の感覚にも耳を澄まして。
意識の隅々まで、細胞の隅々までくまなくすべてを。
毎瞬毎瞬が、宝物のとき。
わたしがわたしを愛するとき、立っている場所は愛の世界だ。
めちゃめちゃ恥ずかしいけど、これが今のわたし。