霜里農場にて

日本の有機農業の第一人者として、広く名の知られた金子美登(よしのり)さん。
国内外から集まった数多くの研修生を指導し、大きな功績を残した方。
金子さんの元を卒業した研修生たちが地域に就農し、埼玉県小川町は有機農業の町として有名になった。
有機農業に関わったり関心のある方は、ここいすみ市でもご存知の方が多い。
その美登さんが、去年突然畑で倒れ亡くなった。

もう昔々のことだけど、わたしは金子さんの研修生だった。
たまたまわたしの家はその隣町にあり、峠を越え自転車で通える距離だった。
学校という場所に意味を見出せなくなり途中で高校をやめていたわたしは、かと言って何かはっきりした目標があるわけでもなく日々を過ごしていた。
あのころのわたしがどこまで有機農業に興味があったのか、理解していたのかはわからない。
けれど何かがわたしを惹きつけ、農場へと足を運ばせたのだと思う。

美登さん友子さんご夫妻はそんなわたしを快く迎えて下さり、毎日をご家族や研修生のみなさんと一緒に農場で過ごすことになった。
金子さんの指導する有機農法は多くの関心、注目を集め、たくさんの人が日本中や海外から見学や体験に訪れ、さまざまな取材や撮影も度々行われていた。
長期研修生の多くは農業を志す20代30代の男性で、わたしは少し場違いな感じがしていた。
結局農業の道に進むことはなかったけれど、あのころに出会った食の安全や食べることと生きることのつながりが、その後のわたしの人生に多大な影響を与えてくれたと思っている。

結婚や出産の報告はしたものの、日々の忙しさを言い訳に長い間お伺いしないまま時が過ぎた。
美登さんの訃報を、わたしはだいぶ後に知った。
わたしを丸ごと受け入れて下さったご夫婦の想いがどれほどのものだったのか、それに気づいたのは大人になってずっと経ってからだ。
美登さんがお元気なうちにきちんと感謝を伝えておきたかった、伝えておくべきだったのに。

今日、わたしは何年振りかわからないくらい久しぶりに農場を訪れた。
歴史のあった当時の母屋は火事で焼け、梁の立派な素敵なおうちが建っていた。
いろいろな施設ができたり変わったところもあるけれど、風景も畑の様子も、あのころのままわたしを迎えてくれた。
友子さんは確かに年を重ねていたけれど、まるで会わない年月など無かったかのように「澄絵ちゃん!」と笑った。
可愛らしさもとてつもなくおしゃべりなところも、全然変わっていなかった。
仏様にお線香を上げ、懐かしい写真の中の美登さんにご挨拶をして、友子さんの近況を伺い、畑を案内してもらった。
50代になったわたしが、時を超えて18才のわたしに会いに行ったような、不思議な気持ちになった。

また近いうちに来よう。
友子さんがお元気でいる間に何度でも。
ハグし合い、またねの約束。

2023年夏。
埼玉県小川町下里の、霜里農場にて。
父、わたしと金子友子さん。

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