波乗り

房総、御宿海岸。
車で10分ほどで行けるこのビーチが、わたしたちの夏の遊び場だった。
夏休みになると子どもたちに「いつ海に行く?」と度々聞かれたし、海に行けば「いつまで遊べる?」と聞かれ、帰るときはとても残念そうにした。
特に上の2人は海が大好きだった。
子どもたちが大きくなり部活や進学で一緒に過ごす時間が減ると、海へ行く機会はかなり少なくなった。
すえっこは入るより見ている方がいい派なこともあり、海水浴はわが家の夏の行事とは言えなくなってしまった。
3年前の夏は産後サポートのために娘の家に滞在することが多かったし、この2年間は海水浴場自体が閉鎖されていた。
最後に海に入ったのがいつだったかさえ忘れてしまったし、わたしはもう水着もビーチサンダルも持っていなかった。

7月、娘たちと孫たちと一緒に海へ行った。
海で遊べる小さな子たちの存在が、また夏の浜へと向かわせる。
本当はずっとわかっていたことだけど、わたしの中ではっきりと気づいたことがある。
海を楽しみたいのは、誰よりわたしだ。
水の心地よさを、波の力を感じ味わいたいと、わたしの心が言っている。
その気持ちに、何年も何年も応えてあげてこなかったのだ。
仕事とか、家族とか、いくらでも理由は上げられる。
だけど、自分の内側から湧き上がってくる純粋な望みの方をなぜ拾ってあげない?
ばかだな、わたし、本当にばかだったな。
こんなささやかな願いさえ叶えてあげないなんて。
こういう小さなことをひとつひとつ大切にしてあげることからしか、満ちた人生なんて始まらない。

8月も終わりに近い平日のビーチは、まだ夏の空気を残していた。
新しい水着とビーチサンダル。
わたしは初めて、自分だけのために海に来た。
そして、何年か振りに海に入った。
ひんやりと冷たいが、すぐに慣れる。
わたしは波乗りが大好きだ。
サーフボードでも浮き輪でもなく、自分の体ひとつで波をとらえる。
大きな波が最大に盛り上がって砕ける寸前、その頂点に乗れたときは最高に気持ちいい。
ふわっと体全部が持ち上げられ、一瞬波に運ばれる感じ。
それは波の来るタイミングと、波が来たときにいかにその波に呼吸を合わせられるか次第。
自分のところに来る前に波が砕けてしまうと、頭からもろにザブ〜ンと白波をかぶることになる。
目にも耳にも塩水が入るし、飲むこともあるし、海中に引っ張り込まれることもある。
でも、それも含めて楽しい♪
「わー大きい!」
「わーかぶった〜!」
「わーお魚跳ねた!」
ひとりで波に乗り続け、子どものようにはしゃぐ。
空に浮かんだ雲が龍にしか見えなくて、わたしがわたしに贈った大事な時間をまるで見守ってくれているかのようで、その雲に手を振った。

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